僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

意味のないものに

天狗のお面(テレ朝「都市伝説の女」、フジ「主に泣いてます」でオンエアーされました)

どうも、こんばんわ。doutei35です。

 

天狗のお面とかって持っていますか?

そして、欲しいと思いますか?

 

今日は”無駄なこと”について語りたいと思います。

 

先ほども話した様に天狗のお面はこの世の中に必要だと思いますか?

正直言って大半の人が、必要ないと答えるのではないでしょうか?

 

僕もいりません。

 

ですが、天狗が大好きで天狗について語っている人がいるとしたらどうでしょう?

その人の話を聞きたいと思いますか?

 

これも大半の人は、聞かないと答えるのではないでしょうか?

 

僕自身も興味はないです。

 

ですが、こういったことを職業にしている人がいるのです。

その仕事に需要があると思いますか?

ないようにしか思えません。

 

ですが、している人がいるんです。それが”みうらじゅん”さんです。

 

みうらじゅんさんは、イラストレーターであり、エッセイストであり、小説家など幅広い分野で活躍されている方で、業界ではかなり有名な方なのです。

 

先ほどは天狗の話をしましたが、天狗だけではありません。

おもちゃのゴム蛇を集め出したり

いろんなお店が表記している「since」の写真をたくさん撮ったり

旅先に売っている、需要のなさそうな写真を載せている絵ハガキを集めたり

(「カスハガ」と名付けています。)

近年では一時期ブームになった「ゆるキャラ」の生みの親でもあります。

 

 

本当にこんなんで職業が成り立つの?って思うものを見つけ

そのコラムを連載したりしているのです。

 

 

ではなぜこう無駄なものを集め、さらにそれが人々を惹きつけるのでしょう?

ぼくなりに分析してみました。

 

ぼくはこういうものを連載で読んで、欲しいとは思ったことがありません。

知識を得る時間としたら、これは本当に無駄な時間なのです。

ほとんどの人がいらない知識を時間に使いたい、とは思わないでしょう。

ですが、それでもみうらじゅんさんには一定数の人がファンとしているのです。

 

そして、ファンはみうらさんの話に笑ったりもします。

そして、それは大きくなり日本武道館で人を集めるほど大きくなりました。

 

だけど、みうらじゅんさんは芸人ではありません。

笑いを欲しているのなら、いろんな売れている芸人がいるのだから、そっちを聞きにいったほうがはるかに効率がいいです。

 

でも、みうらじゅんさんを求めるファンがいるのです。

 

一つの理由としては、たぶん彼が芸人とはちがったジャンルのお笑いを提供しているからではないか、というところです。

漫才でなければ、コントでもありません。そして、会話の中で生まれる笑いでもありません。

彼は国内にあるおかしなもの、違和感の感じるものを提供しているのです。

そして、こういったものをずっと続けていることで

もう芸人たちは彼のテリトリーには入れなくなってしまったのです。

なぜなら、すべてみうらじゅんのパクリと呼ばれてしまうからです。

 

若い人たちに見せたら、たぶん受けるでしょう。

ですが、業界でも有名ですし、年配にも有名なのですぐにばれてしまいます。

ということは彼は芸人とは違うジャンルを確立し、希少価値のある存在となったのです。

 

もう一つは、人々の中でくだらないことで生きたい、という願望があるのです。

大人になれば周りは意味のあるものを求めますし、それに答えようとします。

そして、あの頃にもどりたい、と自分の少年時代を思い出すのです。

少年時代に皆さんは意味を求めて生きてきましたか?

遊ぶときに意味を考えながら砂場で遊んだり、虫を捕まえたり、ドロケーをしていましたか?

おそらくほとんどの人がしていないでしょう。

まさに自分たちの少年時代は、意味を求めたりせず、無駄なことでも面白そうだと思ったら何も考えず集めたり、遊んだりしていたのです。

 

ですから、どこかで無駄なことをしているみうらじゅんさんに

自分たちの理想の大人の生き方をどこかで反映させているのです。

 

そういった人たちがみうらじゅんさんの”笑い”と”癒し”の世界観を求めて行くのではないか、と思います。

 

あと、もう一つ、理想の大人と言いましたが、人々が求めていることで豪邸に住んだり、リッチな生活をしたい、と思う人も多いとは思います。

ですが、そういった人たちがみうらじゅんさんのように反映させるか、といったらそれは違うのです。

なぜなら、リッチは物質的な豊さであり、みうらじゅんさんに求める理想は自分たちが以前もっていた精神的な豊さにあるのです。

 

人ってもしかしたら物質よりも精神的なものの方を求めているのかもしれません。

 

今日はありがとうございました。

 

「ない仕事」の作り方