僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

僕を許す。

ゆるす: 読むだけで心が晴れる仏教法話

僕は僕を許すということ。

僕はそれでいいと思っている。

童貞だっていい。

僕はそれでいいと思っている。

童貞だって生きているし。

童貞だってやればできる。

何をやればいいのかはわからないけど。

別に人として最悪な存在ではないし。

誰にも迷惑はかけていない。

僕は僕を許す。

僕は僕を許す。

 

でもそこからじゃないかな。

自分を少しずつ変えていくのは。

ゆるすということ (サンマーク文庫)

手すりに対する無意識

コロナの時代の僕ら

どうも、こんばんわ。doute35です。

 

緊急事態宣言がはずれ、久々に遠出してみました。

駅に向かう途中、心なしか人も多くなっていたように感じます。

 

まあ、それはさておき。

 

しかし、人の暗示というか、思い込みっていうものは恐ろしいものです。

今日も感染者は二日連続の二桁だったそうです。

でもよく考えてみてください。

東京の人口は約1400万人。これは一月時点での国税調査のものなので、今は少し変わっているかもしれませんが、そこまで大幅に変わることはないでしょう。

それを考えたらかなり確率も低いです。

 

もちろん、国民の皆さんが自粛してくれた部分も大きいと思います。

 

そこまで確率も少ないので本当はもっと安心していいはずなのですが、

テレビや政府からこうも毎日ずっと発信されてしまうと

どこかでコロナに縛られていることを実感しました。

 

つり革を触らないようには意識していましたが、座る時も手すりを掴もうとしたら無意識に手は触れないようにしていました。

 

もちろん、この行動が悪いわけでもないのですが、無意識にここまでコロナにおびえているのか、と感じました。

だが、コロナははっきり言って完全消滅などしません。

ワクチンだって早くて1年です。早くてです。それに2003年に流行ったインフルエンザのSARSでさえ、いまだにワクチンは開発されていませんし、コロナだってワクチンが開発される可能性などどこにも根拠がありません。つまり、コロナは何十年も開発されずに日本中に蔓延する可能性が充分にあるのです。

そして、それにいちいち気にしていたら精神的におかしくなりますし、日本人だって時間が経てば、SARSのように気にしなくなるのは目に見えてきます。

 

だから、僕もコロナ情報にはあまり左右されないように意識していたにも関わらず、無意識に避けるものがあるので、

テレビなどの情報を真に受けている人はもっと拒否反応を示しているのではないでしょうか?

 

これからどうなるかわかりませんが、皆さんも過敏にならずにコロナに接し、テレビの情報に左右されないよう気を付けましょう。

 

今日は、ありがとうございました。

闇の支配者たちの情報操作戦略サイオプス

 

意味のないものに

天狗のお面(テレ朝「都市伝説の女」、フジ「主に泣いてます」でオンエアーされました)

どうも、こんばんわ。doutei35です。

 

天狗のお面とかって持っていますか?

そして、欲しいと思いますか?

 

今日は”無駄なこと”について語りたいと思います。

 

先ほども話した様に天狗のお面はこの世の中に必要だと思いますか?

正直言って大半の人が、必要ないと答えるのではないでしょうか?

 

僕もいりません。

 

ですが、天狗が大好きで天狗について語っている人がいるとしたらどうでしょう?

その人の話を聞きたいと思いますか?

 

これも大半の人は、聞かないと答えるのではないでしょうか?

 

僕自身も興味はないです。

 

ですが、こういったことを職業にしている人がいるのです。

その仕事に需要があると思いますか?

ないようにしか思えません。

 

ですが、している人がいるんです。それが”みうらじゅん”さんです。

 

みうらじゅんさんは、イラストレーターであり、エッセイストであり、小説家など幅広い分野で活躍されている方で、業界ではかなり有名な方なのです。

 

先ほどは天狗の話をしましたが、天狗だけではありません。

おもちゃのゴム蛇を集め出したり

いろんなお店が表記している「since」の写真をたくさん撮ったり

旅先に売っている、需要のなさそうな写真を載せている絵ハガキを集めたり

(「カスハガ」と名付けています。)

近年では一時期ブームになった「ゆるキャラ」の生みの親でもあります。

 

 

本当にこんなんで職業が成り立つの?って思うものを見つけ

そのコラムを連載したりしているのです。

 

 

ではなぜこう無駄なものを集め、さらにそれが人々を惹きつけるのでしょう?

ぼくなりに分析してみました。

 

ぼくはこういうものを連載で読んで、欲しいとは思ったことがありません。

知識を得る時間としたら、これは本当に無駄な時間なのです。

ほとんどの人がいらない知識を時間に使いたい、とは思わないでしょう。

ですが、それでもみうらじゅんさんには一定数の人がファンとしているのです。

 

そして、ファンはみうらさんの話に笑ったりもします。

そして、それは大きくなり日本武道館で人を集めるほど大きくなりました。

 

だけど、みうらじゅんさんは芸人ではありません。

笑いを欲しているのなら、いろんな売れている芸人がいるのだから、そっちを聞きにいったほうがはるかに効率がいいです。

 

でも、みうらじゅんさんを求めるファンがいるのです。

 

一つの理由としては、たぶん彼が芸人とはちがったジャンルのお笑いを提供しているからではないか、というところです。

漫才でなければ、コントでもありません。そして、会話の中で生まれる笑いでもありません。

彼は国内にあるおかしなもの、違和感の感じるものを提供しているのです。

そして、こういったものをずっと続けていることで

もう芸人たちは彼のテリトリーには入れなくなってしまったのです。

なぜなら、すべてみうらじゅんのパクリと呼ばれてしまうからです。

 

若い人たちに見せたら、たぶん受けるでしょう。

ですが、業界でも有名ですし、年配にも有名なのですぐにばれてしまいます。

ということは彼は芸人とは違うジャンルを確立し、希少価値のある存在となったのです。

 

もう一つは、人々の中でくだらないことで生きたい、という願望があるのです。

大人になれば周りは意味のあるものを求めますし、それに答えようとします。

そして、あの頃にもどりたい、と自分の少年時代を思い出すのです。

少年時代に皆さんは意味を求めて生きてきましたか?

遊ぶときに意味を考えながら砂場で遊んだり、虫を捕まえたり、ドロケーをしていましたか?

おそらくほとんどの人がしていないでしょう。

まさに自分たちの少年時代は、意味を求めたりせず、無駄なことでも面白そうだと思ったら何も考えず集めたり、遊んだりしていたのです。

 

ですから、どこかで無駄なことをしているみうらじゅんさんに

自分たちの理想の大人の生き方をどこかで反映させているのです。

 

そういった人たちがみうらじゅんさんの”笑い”と”癒し”の世界観を求めて行くのではないか、と思います。

 

あと、もう一つ、理想の大人と言いましたが、人々が求めていることで豪邸に住んだり、リッチな生活をしたい、と思う人も多いとは思います。

ですが、そういった人たちがみうらじゅんさんのように反映させるか、といったらそれは違うのです。

なぜなら、リッチは物質的な豊さであり、みうらじゅんさんに求める理想は自分たちが以前もっていた精神的な豊さにあるのです。

 

人ってもしかしたら物質よりも精神的なものの方を求めているのかもしれません。

 

今日はありがとうございました。

 

「ない仕事」の作り方

人の心を動かしたいとき

俺のプロレスネタ、誰も食いつかないんだが。 1巻: バンチコミックス

こんばんわ。doutei35です。

 

皆さんは、この人全然この話に食いつかないな、ってこと思ったことはありませんか?

会社のプレゼンで上司が全然食いつかない、とか。

 

今日はそういった人の心について語りたいと思います。

 

僕は岡田斗司夫さんの動画をよく見ます。

そして、その中で話していたことがあります。

それはリクルートという会社の働いていた人のお話です。

その人が会社の幹部たちにプレゼンした時の話です。

 

リクルートという大手企業の超エリートの幹部がそこに並んでいます。

その中で企画を通すのは至難の業です。

超エリートですから頭がいいわけです。ついてほしくない穴をすぐに見つけ、攻撃をするのは容易なわけです。

その中で納得をさせなければなりません。

 

そのプレゼンの内容は、たしかカッコいい大人の男についての特集です。

(曖昧ですいません。)

案の定、プレゼンをはじめると上司たちはつついてきます。

アンケートをとったデータを見せても揺るぎません。

 

しかし、その方はある方法を使って幹部たちの顔を一変させました。

それは渡した資料の次の頁をめくってもらいました。

すると、そこには幹部たちの家族の名前がかいてあるのです。

 

そうです。彼がアンケートをとったのは幹部たちの家族でした。

娘や妻が、幹部のかっこいいところをアンケートで書かれていたのです。

 

それをした幹部たちはもうにやけ顔が止まりません。

その後、そのプレゼンは5分も経たないうちに決まったそうです。

 

そこでぼくは”関係性”という言葉が浮かびました。

 

大衆をひきつけるには関係性の強調が必要だとメンタリストdaigoさんも言っていました。

 

 

これはそれを表わす具体的な話だな、と思ったのです。

でも考えてみたらそうですよね。

家族にアンケートをとり、そのデータを見せられたら

今までの他人事のデータに思いますが、

一気に自分事になります。

 

自分事になると、やはり人はいとも簡単に動きます。

そして、そのデータが自分に都合のいいことであればあるほど

そのプレゼンにも親近感がわくし

ほとんどの人がOKを出すのではないでしょうか?

 

もし説得したい人がいたらまず関係性を探し出すことからはじめたらいいのではないでしょうか?

 

今日はありがとうございました。

話しベタさんでも伝わるプレゼン 人見知り、心配性、アドリブが苦手な人でも堂々と発表できる!

 

どうしようもない悩みがまとわりつく

ビジネスマナーの解剖図鑑

こんばんわ。doutei35です。

 

今日はしょうもない悩みについて

 

本当にしょうもない悩みです。

 

しかし、礼儀というか、マナーができない。

それは相手に対して好きという気持ちができないから。

 

なかなか脳と頭が反比例している感じです。

脳は言います。

マナーは大事だし、最後くらい印象よくしろよ。

身体は言います。

いや、めんどくさくていやだ。やる気もない。

 

身体は動こうとしません。

脳で無理矢理やろうとしても今度は心が邪魔をします。

 

そんな状態、あなたならどうしますか?

解決策はいくつかあります。

1.礼儀を捨て、印象を悪くしたままにする。そして、それを気にしない心を持つ。

2.さっさと無心になって御礼のメールを送る。

 

1は、しても自分の人生を関係ないでしょう。しかし、気にしないスキルをもっていないから、こうして悩んでいる。

2は、その通り。シンプルに考えればすぐに終わる解決策です。

しかし、それも今体が動かない。嘘みたいに体が重くなる感覚。

 

ノートに考えていることを書きなぐりました。

歩いて、脳や体の血流を促進し、考えました。

客観しようとしても何もできませんでした。

果たしてこの心をどうすればいいのでしょう?

こんなことが無駄だとわかっても悩んでばかりです。

どれだけの時間を悩みに使っているのでしょう?

そして、受け入れることがいいのでこの状態は天才の証だ、などと自分を褒めたたえました。

 

しかし、状態は変わりません。

 

再び僕はノートを書きました。

今度は小説の様に、台本のセリフの様にかきました。

僕とそれを悩んでいる友達を設定し、

会話をかきました。

 

悩みすぎはよくないと思っても、悩んでいました。そして、それが少し気付きました。

呼吸のアドバイスをして、呼吸をゆっくりしました。

 

そしたら少し軽くなりました。

しかし、それはやっぱり難しいことです。

行動に移すことはできましたが、まだすべてが完了したわけではありません。

 

はたして僕はこれからどうなるのでしょう。

ただ少しは作業ができたので、数時間前の自分よりははるかに楽です。

 

まあ、落ち着いて考えます。

これから。

 

いろんな対処法をしてもできないこともあります。

しかし、再び違う対処を見つける必要があります。

 

それだけでも無駄な時間ではなかったのかもしれません。

もちろん、無駄ではあるのですが。

 

ただ責めても仕方がありません。

もう少し自分のことを少しだけ褒めておきましょう。

 

 

今日はありがとうございました。

 

超ストレス解消法 イライラが一瞬で消える100の科学的メソッド

 

生きるとは何か。

イタリア・ミラノの校長先生からのメッセージ 「これから」の時代を生きる君たちへ

こんばんわ。doutei35です。

 

みなさんに質問です。

生きるとは、どういうことでしょうか?

 

別にこれは重たい話ではありません。

ただ、生きるとはどういうことか質問したかっただけです。

 

もう自分なりの答えと言うのは見つかっています。

 

それは、人生を全うすることです。

 

きっとそれ以上のことはない、と思っています。

ですがそれでもなんとなくそれ以外の答えを知りたくなるのです。

生きていればいろいろな感情や言葉が生まれます。

 

自分は本当は何をしたいのだろうか?

本当はどう生きたいのか?

心の内側は何を求めているんだろうか?

もっと簡単に生きる道はないのだろうか?

 

などと考えてしまいます。

 

でもやっぱりたどり着くのは人生を全うする。ただそれだけなんです。

 

人生には思いがけないことが起きます。

 

死にたくなることもあります。

 

成功者を見て、うらやましいとも思います。

 

ですが、それでもたぶん生き抜いた人が答えなんだと思います。

中には自殺をする人もいます。

このコロナで自殺する人もたぶんいるかもしれません。

 

ですが、それでも最後まで生きた人が答えなのではないでしょうか?

それはこの状況でもピンチを脱するとかそういうことではなく、

自分の手で生涯を終わらせる手段をとらない、ということです。

 

中には心が不安定で命を落とす人もいるかもしれません。

でもそれは自分で選んだ選択ではないので、それはそれで生き抜いた証だと思います。

 

たぶんこの世でただ唯一のことは自ら死なない。その一点しかないのかもしれません。

 

もちろん、耐え切れない苦しみで亡くなる人がたくさんいたことでしょう。

それは自分の想像をはるかに超える苦しみなのかもしれません。

 

ですが、スーパースターで自殺をしても

ホームレスで生き抜いたら、人生の上で正しく全うしたのは明らかに後者です。

 

だから、やはり生きるという選択肢しか人にはありません。

みなさん、生きましょう。

ギリギリでも、かっこ悪くても生きましょう。

 

 

人生のただ一つのゴールは、生き抜くことしかありませんから。

僕もぎりぎりでも生きていきたいと思います。

生き抜くチカラ: ボクがキミに伝えたい50のことば

自問自答

人生の悩みが消える自問力―――「5つの質問」と「自問自答」ですべてが好転する

 

こんばんわ。doutei35です。

 

いろいろと記事などを読んで思うことがあります。

 

それは自問自答が大切だということです。

何を今更と思うかもしれません。

そして、常にやっていることじゃない?と思う人もいるのかもしれません。

 

でも僕はそうは思えないのです。

 

僕もなんとなく自問自答をしてきた、と思っていました。

ですが、僕はただ悩んでいるだけであって自問自答ではありません。

 

本当の自問自答とは感情ではなく

自分の可能性だったり、やりたいことを追及することです。

 

自問自答することで人はクリティカルシンキングが鍛えられるそうです。

クリティカルシンキングとは天才を超える唯一の方法だそうです。

 

主観にも感情にも流されず論理的に考える力だそうですが。

そうじゃなくても、正しく自問自答すればそれは自分を追及することであり、自分をもっと知ることができます。

自分を知れば知るほど、判断基準もわかるので悩みも迷いも少なくなるのではないでしょうか?

哲学者ソクラテスの言葉で、「汝自身を知れ」という言葉もあります。

これもまた間違いではないのでしょう。

 

もちろん、自分を知るというのはどうすればいいかわかりません。

ですがやっぱり、自問自答しか道はないのではないでしょうか?

 

もっと自分を知りましょう。

ちなみに、自問自答は精神的にもいいそうです。

もちろん、ただ悩むということではありません。

自分の可能性を聞き続けるということです。

そうすればまた自分の中の新たな発見があるかもしれません。

 

今日はありがとうございました。

改訂3版 グロービスMBAクリティカル・シンキング (グロービスMBAシリーズ)