僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

太陽がないと

雨のことば辞典 (講談社学術文庫)

こんばんわ。doutei35です。

 

最近は雨がよく続きます。

一日中雨じゃなくても曇りだったり。

 

あまりいい気分にはなりません。

もちろん、これは全員にあたるものではなく、

曇りが好きな人もいます。

 

だけどやっぱり太陽を浴びれる景色がいいのです。

ポカポカ陽気といいますか。

 

太陽があるとないとではやはり精神的影響も変わってきます。

 

一日だけ雨なら仕方のないことではありますが、

 

こういうことを感じるとやっぱり太陽光は大切なんだなって思います。

 

太陽光はいろいろな研究結果によると

人間にビタミンdを与えてくれるそうです。

与えてくれるというか、人間の肌は太陽光に反応し、ビタミンDを生成してくれるようです。

そして、そのビタミンDもまた骨をつくったり、ガンを予防したり、高血圧なども抑えてくれるようでやはり人間にとっては大事な存在のようです。

 

しかし、日光を浴びすぎても肌の細胞を壊してしまうそうなので、要はほどほどが大切みたいですね。

 

時間で言うと15分がいいらしいです。

 

でも太陽を浴びるだけで自然と気分がよくなるのですから、人間の体もそれは感じ取っているみたいですね。

 

だから皆さんも、太陽光をもっと感謝して浴びましょう。

 

今日はありがとうございました。

藤原竜也×竹内涼真「太陽は動かない」写真集

 

選択した後

仕事を辞める前と仕事を辞めた後の世界の見え方

どうも、こんばんわ。doutei35です。

 

今日は仕事を辞めた後の不安が押し寄せてきました。

今日はたくさんノートに自分の心、いや脳の中の言葉を吐き出しました。

でも結局自分の頭の中にあるのは、どう自分で稼げるようになるか?

ただそればかりでした。

 

ですが何も浮かびません。

いつも同じ言葉しか浮かばないのです。

 

そして、そのあと借金のことについて調べました。

自己破産するにもお金が必要なようです。

無料でもできるのですが、自分で膨大な量の書類を処理しなければいけません。

それならば、お金を払ったほうがいいかもしれません。

 

そんなことでまた不安を呼び寄せてしまいました。

ですが、私は仕事を辞めたと決めてからすんなりとやめられました。

もし、自分がここで変な障害があれば辞めなかったかもしれません。

ですが、僕はすんなりとやめられたのです。

それはどういうことか、というとそういう運命だったと思うのです。

もちろん、この後天国が待っているのか、地獄が待っているのか自分自身わかりません。

ですが、こういう選択をした以上そういう道しかなかったのだ、と思います。

 

衝動だろうが、きっとそういうことだと思います。

選択は選択にすぎません。

あるブログで選択の基準は面白いかどうか、と書いてありました。

他にも違うものではワクワクするか、なんて本もありましたね。

 

僕は選択としては面白い、ワクワクではないと思います。

ですが、面白くないのはどっちか?といったら

僕はやめない方が面白くないことだったと思います。

 

もちろん、これで良かったのかどうかはわかりません。

ですが、そういう基準であれば間違っていないのです。

 

だから僕はまたここから歩まねばなりません。

ここからまた新たな道となるのです。

 

競争なんてしたくないですからね。

 

自分の道を歩きたいものです。

 

今日はありがとうございました。

10年後、後悔しないための自分の道の選び方

あとは信じるしかない

ずっとやめたかったこと、こうしてやめられました。

どうも。こんばんわ。doutei35です。

 

僕は一昨日、仕事をやめました。

 

明日、仕事があるのとないのとでは精神的にも感覚的にも大きく違いが生まれます。

それは当たり前な話かもしれませんが。

やはり実感として違うのです。

 

土曜日とも違います。

もちろん、将来が決まっているわけではないので

のんびりしている場合でもないのかもしれません。

 

ですが、どこかで”なんとかなるだろう”と思っているわけです。

 

そこに根拠などないので、頭が悪い人間だと思われているかもしれません。

 

ですが、今はそんな気分です。

やはり仕事があるという意識の中でやっていると、無意識でもそこに引っ張られてしまい、精神的にも余裕などありません。

いや、休みなのであることはあるんですが、それでも少し窮屈さがあるといった感じです。

 

しかし、それは今仕事を辞めて気付いたことです。

ずっと仕事の中だったら、気づくのにもっと時間がかかっています。

もちろん、仕事内容にもよると思います。

好きな仕事をしているのなら、また別の感覚でしょうから。

 

しかし、好きではない仕事ならやはりどこかに負担がかかるのです。

 

それが強く実感しています。

 

この精神的余裕がいつまで続くのだろう?なんて思ったりもします。

ですが、明日はいっぱい歩いて考えよう。

明後日はノートに自分の思いをぶちまけようなんて考えているだけでもやはり心は

軽いのです。

 

自分の行動は、衝動的な行動なのだと思います。

しかし、それを決めたのはまた自分なのです。

 

そんな自分を昔なら片っ端から批判していました。

 

しかし、今はまた少し違います。

 

そんな自分を受け入れるしかないのです。

いや、むしろ受け入れたほうがいいんです。

まだまだ人生は長く続くかもしれないし、

短く終わってしまうかもしれない。

 

だけどどっちにしろ、自分自身の批判というのはよくありません。

僕は僕で決めたわけですから

やはりその感覚を信じて、生きていくしかないのです。

 

今日はありがとうございました。

自分を信じた100人の男の子の物語: 世界の変え方はひとつじゃない

 

妄想質問からきたぼくらの中にある項目。

ひとりの妄想で未来は変わる VISION DRIVEN INNOVATION

こんにちは。doutei35です。

 

今日は自分の好みについて語りたいと思います。

 

女優さん、アイドルさんっていますよね?

そして、ある会話で出たのが、「○○だったら抱けるならいくらお金を出すか?」という質問です。

 

これはあまりにもくだらない質問です。

ですが、妄想の時間を得るなら無駄ではないのかもしれません。

 

その時にある人はいいます。

○○はめちゃくちゃ顔がタイプだから○○円出す。ということです。

そして、僕はその質問がきたとき、

顔のタイプをもちろん、考えますが、やはりその人の肉体も考えます。

もちろん、妄想です。

そして、その時に自分の中で質問が生まれました。

顔がタイプだけど、肉体がタイプじゃない。

顔はタイプじゃないけど、肉体がタイプ。

すると、僕はどっちを選ぶのか?人はどっちを選ぶのか?

でももしかしたら顔がタイプと選ぶかもしれません。

ではもう一つ質問をします。

 

顔がタイプ、肉体はそこそこ。

顔はそこそこ。肉体はタイプ。

どっちを選びますか?

 

そういう質問が来たら僕は肉体はタイプの方を選ぶかもしれません。

 

僕はここで思ったんです。

やはり、人々にはそれぞれのチェック基準があります。

この項目にあてはまったら○○点。

この項目だったら、マイナス点などと無意識に決めている点数があります。

それは妄想だけの話ではありません。

 

人を判断する時にもそれがあります。

以前バイトの後輩に質問された話です。「何をもって人間と判断しているのか?」ということです。

 

それを考えたときに、五体満足でなくても僕らはその人が人間だと判断します。

しかし、五体満足の犬は人間じゃない、と判断します。

じゃあ、猿の写真を見せられても人間じゃないと判断できるのです。

 

ぼくらは無意識に右腕があったら○○点とどこかでチェックをしています。

でもその右腕の手が豚のような手だったらどうしますか?

マイナスか0点があなたの中でつくでしょう。

そして僕らには判断基準点というものがあってそれを超えたらそうだ、と判断するんです。

 

それは人間だけでもなく、ありとあらゆるものに対して僕らはそういうチェックリストを持っているんです。

 

そして、その中には思い込みのようなものだってあるのです。

 

それが解釈だったり、思想だったり、性格を成り立たせているのかもしれません。

 

ですから、僕らはもう一度自分の中にあるチェックリストを改めて見つめなおす必要があるのかもしれません。

 

今日はありがとうございました。

アナタはなぜチェックリストを使わないのか?【ミスを最大限に減らしベストの決断力を持つ!】

自然の中にいる虫から。

暢気眼鏡 虫のいろいろ 他十三篇 (岩波文庫)

こんばんわ。doutei35です。

 

今日はある草木の生えた現場にいきました。

そこは本当に自然が栄えている場所です。

 

そして、今週から熱くなり、虫の活動が盛んです。

よく見ると数え切れない虫が縦横無尽に動いています。

 

虫といえど、小さな命がそこにあります。

しかし、彼らはコロナなんてこともわかりませんし、知りません。

彼らはいつものようにただ蜜をとったり生活をしているのです。

いや、生活という言葉さえなく生きているのでしょう。

 

彼らはただ毎日生きているのです。

それがコロナだろうと。

 

だからといって彼らは自分たちに危険が及ぶとひどく焦ります。

虫だって焦るのだから、いろいろな知能をもつ人間が焦るのは当たり前です。

そんなことさえ思いました。

 

そして、虫もまたコロナにかかることなんてもしかしたらあるのかもしれない。

そしたら、虫経由でコロナにかかるのだっておかしくはないのです。

 

僕たちにはまだまだ未知の世界、そして未知の予測もあります。

ですが、そこにおびえてばかりいても仕方ないのです。

 

怯えてもいつも通りに動かないといくしかないのです。

虫は自由に動いています。

自分たちよりも何百倍も大きな人間が近くにいたって彼らは活動をするのです。

生きるという活動を。

 

ならば人間だって活動をしなければいけません。

自分たちが生きていく活動を。

 

そんなことを思った一日でした。

ありがとうございました。

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

気を付けたほうがいいからだ。

あたらしい皮膚科学

こんばんわ。doutei35です。

 

昨日テレビを見ていたら、皮膚に関しての番組をやっていました。

美肌とかそういうものではなく、皮膚はいろんな情報を得ていると。

 

そういう話に私は興味があります。

五木寛之さんだったり、横尾忠則さんだったり直感が大切とか体に従ったほうがいいと語っています。

なぜ急に直感の話をしたか、というと直感こそ体が受け止めているものだと言っているからです。

 

こういう話は面白いな、と思います。

五木寛之さんや横尾忠則さんといったすごい人が言うのであれば、間違いない、と思ってもしまいます。

ですが、気を付けてほしいのはそこなんです。

どんなに凄い人がそういうことを言っても僕にその感覚がなければ安易に信じちゃいけないのです。

もちろん、二人は詐欺師でもなく、本心で言っているでしょう。

それは彼らの中の感覚が受け止めているからです。

 

ですが、自分の直感が正しいか、というと結果が出ていないし、信じられるものかどうかまだ自分に自信は持てません。

そして、信じてしまいそうになるのはそれが楽だからです。

勉強をするよりも自分の感覚、直感に従ったほうが実施するには楽ですし、時間もいりません。だって信じればいいだけだから。

でもそれが直感なのかも定かではないものを信じても、また疑問なんです。

それが直感だ、この感覚を信じて結果が出てきたという経験があるなら信じていいのでしょうが、僕はそれが結果として出ていないので、やっぱり信じるのは危険なのです。

 

皮膚の感覚もあります。

大半の人が自分の感覚を信じたらうまくいっているのであれば信じていいのでしょうが、そのデータさえないのです。

 

自分の中の感覚を信じるのは大切です。

それは自分にしかわからないのですから。

だけど安易に人の言葉を鵜呑みにするのもまた危険なのです。

 

僕はそれを気を付けながら生きていこうと思います。

そして、皆さんも気を付けてください。

 

ですが、私はやっぱりどこかで直感を信じてしまいます。

なぜなら、それが楽だから。

直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN

解決できない感情

感情とはそもそも何なのか:現代科学で読み解く感情のしくみと障害

こんばんわ。doutei35です。

 

いつもなるべくネガティブな考えはしないようにしてきました。

しても、それをポジティブに受け入れるように。

 

しかし、今日に限っては何もできませんでした。

昼には思わなかったのですが、

夜になるにつれ並々ならぬ不安を押し寄せてきました。

 

なんとなくそのレベルでの波が続きます。

 

どうしたらいいだろう?

客観的に見なくちゃ。

他人事のようにとらえなければ。

ノートを書こう。

今自分は何を考えているのか?

 

そのように何度も何度も何度もその作業を繰り返します。

もちろん、書くと落ち着く瞬間もあります。

しかし、またそれが訪れる。

その作業の繰り返し。

 

なんとも今日はやっかいな心でした。

 

そして、それは今もまだ続きます。

そこでふと思ったことがあります。

別にその心を一日で解決しようと思わなくてもいいのでは、ということです。

 

一日で解決できなくても、別に死ぬわけではありません。

その時間はいい気分ではないし、長ければ長いほど嫌ですが。

そこでまた嫌な感情を足すのはよくありません。

 

それは焦りともいえるのではないでしょうか?

 

そこに大切なことがあると思います。

 

悩みや苦しみとすぐ終わらそうと思う気持ちでいるのと

まあ、長く続くかもしれないからそれならそれで長く付き合おうと思う気持ちでは

またその瞬間も違ってくるのではないでしょうか?

 

僕は今日、それを感じました。

 

しかしなかなか難しいものです。

ですが、少しでも楽になるならそれでいいじゃないですか?

 

とりあえず私は今日の消えない嫌な感情と付き合うことにします。

おやすみなさい。

 

今日はありがとうございました。

ネガティブ・ケイパビリティ  答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)