僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

あとは信じるしかない

ずっとやめたかったこと、こうしてやめられました。

どうも。こんばんわ。doutei35です。

 

僕は一昨日、仕事をやめました。

 

明日、仕事があるのとないのとでは精神的にも感覚的にも大きく違いが生まれます。

それは当たり前な話かもしれませんが。

やはり実感として違うのです。

 

土曜日とも違います。

もちろん、将来が決まっているわけではないので

のんびりしている場合でもないのかもしれません。

 

ですが、どこかで”なんとかなるだろう”と思っているわけです。

 

そこに根拠などないので、頭が悪い人間だと思われているかもしれません。

 

ですが、今はそんな気分です。

やはり仕事があるという意識の中でやっていると、無意識でもそこに引っ張られてしまい、精神的にも余裕などありません。

いや、休みなのであることはあるんですが、それでも少し窮屈さがあるといった感じです。

 

しかし、それは今仕事を辞めて気付いたことです。

ずっと仕事の中だったら、気づくのにもっと時間がかかっています。

もちろん、仕事内容にもよると思います。

好きな仕事をしているのなら、また別の感覚でしょうから。

 

しかし、好きではない仕事ならやはりどこかに負担がかかるのです。

 

それが強く実感しています。

 

この精神的余裕がいつまで続くのだろう?なんて思ったりもします。

ですが、明日はいっぱい歩いて考えよう。

明後日はノートに自分の思いをぶちまけようなんて考えているだけでもやはり心は

軽いのです。

 

自分の行動は、衝動的な行動なのだと思います。

しかし、それを決めたのはまた自分なのです。

 

そんな自分を昔なら片っ端から批判していました。

 

しかし、今はまた少し違います。

 

そんな自分を受け入れるしかないのです。

いや、むしろ受け入れたほうがいいんです。

まだまだ人生は長く続くかもしれないし、

短く終わってしまうかもしれない。

 

だけどどっちにしろ、自分自身の批判というのはよくありません。

僕は僕で決めたわけですから

やはりその感覚を信じて、生きていくしかないのです。

 

今日はありがとうございました。

自分を信じた100人の男の子の物語: 世界の変え方はひとつじゃない