僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

嫌な人と自分と自分の感情。

サイコパスに学ぶ成功法則

世の中に人には嫌いな人がいる。

 

嫌いというか、苦手な人もいるし。

 

それは仕事場だったり、学校だったり。

 

友達グループの中の一人だったり。

 

大半の人はいると思う。

 

だけど、そこでちょっと有効な何かが見つかればいいと思う。

 

そんな時、いつもサイコパスがうらやましいと思うんです。

 

サイコパスって自分の感情に流されない人だから

 

そこに恐怖とか嫌悪感とかあっても気にならないし、

 

論理的に必要ならば平気でお世辞もいうし、理性をもって考えるんです。

 

サイコパスって言葉はあまりいいイメージはないけど

 

要はそれが犯罪に使っている人もいるってことだけで。

 

僕は嫌な感情、そういう状況にあう日ならノートを描きます。

 

たくさんたくさん、書いて書いて書きまくる。

 

そして自分を切り離して考えてみる。

 

自分を他人として考える。

 

やっぱり感情で書いている時、見ている時は

 

あきらかに自分に依存しているのがわかる。

 

だからそれを感じたら僕は”自分に依存しているよ””依存しちゃだめだよ”って言い聞かせます。これだけでも少しは楽になる。

 

ただたまにならない時もある。だけど、いろいろと考えたときに

自分も関係ないと考えるようになった。

他人の人生に自分は関係ない。自分もまた他人も関係ない。

関係する人は自分が関係していると決めたら関係するんです。

どんなに近くにいても自分に関係ないと思ったら、その人は関係ないんです。

 

そういう風にずっと今まで思っていたんです。

だけどふと思ったんです。自分も自分の人生に関係ないんじゃないかって。

なんかよくわからないですよね。自分もこれが正しい理解なのかわかりません。

だけどそうすると自分から離れて自分を見られるんです。

 

正しくは自分ではなく、自分の感情なのかもしれません。

ですがその感情は自分の身体とは関係ないんです。

怖いだろうが、嬉しいだろうが、どうだろうが。

他人事ってそうじゃないですか。

自分が嬉しくても他人には関係ない。

相手の感情も自分には関係ないんです。

そうすると体と感情も関係ないんじゃないかって。

 

だから自分は自分とも関係ないんです。

そうすると本当の自分が見えてくるのではないんでしょうか?

だってゲームのキャラクターだって自分には関係ないでしょ?

 

最後までありがとうございました。

サイコパス 秘められた能力