僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

悪口は言わなければ勝ち。

もう、不満は言わない (サンマーク文庫)

今日もお仕事。

 

今日は苦手な人と一緒だった。

 

あまり悪口は言いたくない。だけど苦手だな、とは思う。

 

でも心の中では認めてしまっていいのだ。

その人の悪口を周りに言わなければ。

 

こうしてブログに書いてしまってはいるが、誰もわかっていないし。

いわば悪口ノートの書いている感覚と一緒。

悪口を言いふらすなら悪口ノートをつくって、書きなぐればいい。

それは自分にしか見えない、見ないものだから。

自己完結で終わるし、なんだかスッキリする。

 

例えば自分が仕事をできないAだとする。

そして、嫌いなBという先輩がいたとする。

経験もあるし、在籍も長いし、仕事はBの方ができる。

そして、Bはよく嫌味を言う先輩。

そして、Bは周りにAの悪口を言う。

そこでだ。自分は仕事ができない。こればかりはしょうがない。

だけどAは仕事はできないが、悪口を言わない人だったらどうだろう?

 

確実に人として、人間性で勝てるのだ。

Bは愚痴も言うし、嫌味もいう。だからたぶんどこかで悪口だって言っていると思う。

まあ、言わなくてもいいのだが。

でも人って基本、みんな悪口を言っている。

もちろん、まったく悪口を言うな、とも言わない。ストレスがたまるから。

でも極力悪口を言わなければ、勝手に周りの人たちは人として堕落していくのだ。

だから悪口を言わない、というのは案外最強なのだ。

その仕事の世界ではBの方が上かもしれない。

だけど第三者から見て人として上なのはどっち?と言ったら

あなたたちはどちらを選びますか?

仕事は始めたばかりでできないけど、悪口を言わないA。

仕事も長いし、仕事もAよりはできるけど、愚痴や悪口もいうB先輩。

 

大半の人がAを選ぶのではないだろうか?

 

悪口を簡単に言ってしまえば人としても同じ次元になってしまう。

だから嫌な奴がいても周りにいうのはなるべく抑えよう。

紙に書いてしまえばいい。

紙は神かもしれないからね。

 

そうじゃなくても頭はスッキリするはず。

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