僕はもう彼女はあきらめた。だけど童貞も生きている。

30代後半になっても、僕には彼女がいません。彼女ができたことがありません。そんなことでめちゃくちゃ悩みました。責めました。自分の存在を批判ばかりしていました。毎日死にたいとも思っていました。だけど死ぬ勇気がないことに気付いた時、生きるしかないことを知りました。だから彼女がいないならいないでいいと思えるようになりました。そう思った瞬間、心が軽くなったのです。かといってコンプレックスがなくなったわけでもありません。そんな人間の日常を笑ってくれたら、と思います。

何が悪くて、何が良いのか。

幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門 (単行本)

こんばんわ。doutei35です。

 

僕たちは人生を幸せに生きようとしています。

それ自体は間違ってはいないと思います。

 

ですが、幸せにならなければ不幸なのでしょうか?

そこらへんが僕たちにはあいまいなのです。

 

嫌いな人と付き合うのも好きな人と付き合うのも

実は可もなく不可もないのかもしれません。

 

嫌いな人との時間を過ごしている時もそれ以上でもそれ以下でもない時間が存在するし、好きな人との時間もそれ以上でもそれ以下でもない時間が存在します。

 

そもそも嫌いな感情、というか嫌な感情というのはどういうものなのか?

私たちは何からその嫌な感覚が生まれるのか?

嫌な感情を嫌だと思っているのか?

 

そんなことを今日考え始めました。

反対に好きというのもそうです。

何をもってその感覚を好きだと判断したのか、理解したのか。

心地よいもそう。

どこからきて、僕たちはそれをそうだと感じるのでしょう?

 

反対に心地よい感覚を悪いものだと小さい頃から教わり、

嫌な感覚を良いものだと教わったら

 

人はどういう感情になっていくのか?

 

それを考えたらあっさりとその判断基準は変わってしまうかもしれません。

 

本当に私たちは何をもってそれを判断したのか?

嫌なのか、好きなのか、よいことなのか、悪いことなのか?

 

もう少し自分とかけ離れて自分の感情の判断基準を改めてみたほうがいいのかもしれません。

 

そう感じた一日でした。

超訳 論語「人生巧者」はみな孔子に学ぶ―――揺るぎない「判断基準」が手に入る! (知的生きかた文庫)